11.検査入院のはずが車イス生活に(腰痛、椎間板ヘルニア)    Y.Eさん(学生・17歳)

中学時代は部活程度でやっていたバレーボールに本格的に収り組んだのは、
高校に入学してからでしたが、その年(昨年)の夏頃から腰痛に悩まされはじめました。
著名な大病院で診てもらったら、
椎間板ヘルニアということでコルセットをかけさせられました。
夏の間はバレーボールの練習を休んでいましたが、
腰痛にからだが慣れてしまい、こんなものだろうという感じになっていました。
二学期に入る頃には、医師の許可を得てバレーボールの練習を再開しました。
医師はコルセットをつけたままでやりなさい、といったのですが、
動きづらいのではずして練習しました。
センタープレーヤーの人数が少ないので、
センターの練習を重点にやっている時期があって、
アタックの練習を200本ほどやるという日が続きました。
それで疲れと一緒に痛みがでてきたのでしょう。
学校から帰るとすぐ横になっていました。食事も横になってとるという状態でした。

このような状態のまま11月には修学旅行に行き、
帰ってきた翌日、バレーボールの練習試合に出ました。
その後の練習にも参加しました。
決定的にダメだ、と思ったわけではないのですが、
昨年の12月15日に以前かかった大病院に検査のため入院しました。
その時の症状は、腰痛に加え、右足もなんとなく変な感じがしていました。
ひきずるというのではなかったものの、右足がちょっとおかしい、
という感じだったのです。
それでも歩くのに不自由していたわけではなく、病院へは歩いていきました。
入院した翌日、レントゲン検査のため造影剤を入れられ、
たぶん傷み止めだったのでしょう、腰にも二、三回注射を打たれました。
入院していたのは、12月15目から30日までの15日間でしたが、
入院した直後の16日に造影剤を打たれたら、
もう17日には起きられなくなってしまったのです。
検査のため入院したはずなのに
突然、車イスになってしまったことで、母は仰天したようです。
その時の感じは、痛みというよりは、だるさを通り越したというか、
後ろからぐっと引きずり込まれるような、
わしづかみされるような感覚に襲われました。
腰が抜けた、足が抜けたといったほうが適切でしょうか。
思い返してみると、注射した医師は何か後で
「注射したのはまずかった」とかいって、注射をやり直したりしていました。
腰に注射されたのですが、いい加減というか、
注射を打つのはどこでもいいといった感じのやり方のようでした。
正月は病院が人手不足になるというので帰宅しました。
車イスを貸してもらって、母の知人から借りたワゴン車で帰りました。
正月は寝て過ごしました。
痛いというより自分の足が自分のものでないような感じだったのです。
そして四日にまた、入院しました。
母は医師から「手術するしかない」と宣言されていたので、
カイロプラクティックの先生にお会いした時は、涙ボロボロだったらしいのです。
カイロの先生は、ぼくの症状を母から聞かされた当初
"注射して動けなくなったというのは実にいやな感じだ"と思われたらしい。
しかし"17歳という若さだし、手術するのは最後の手段として
その前に治療してみる価値がある"と、
思い返して診てくださったのです。
ぼくは入院先の病院から母に付き添ってもらって
タクシーでカイロプラクティック院に直行しました。
先生の診断は、188センチの背丈が10センチは縮まっていた、
要するに腰が丸まっていたのと、
足を組むことからくる大きな右側わんが腰痛と足のしびれの原因ということでした。
それから毎日、通院しました。
当時のぼくの症状は、右足が主でしたけれども左足も半分麻痺していました。
左足だけでもしっかりしていれば立てるわけですが、
左足も麻痺しているから右足は全く地につかず、全く立てないという状態でした。
専門的にいうと、坐骨神経が麻痺し、大腿神経も麻痺している。
そのため、つねっても痛くもかゆくもない。
右足は完全に麻痺して足関節も勤かず、
膝も満足に勤かせないという状態だったのです。
カイロの先生がいちばん困られたのは、ぼくが全く立てなかったということです。
ふつう、立って胸はり体操や側弯矯正体操ができれば、
ぼくの年齢からいって早々と治ってしまうのですが、それができなかったのです。
胸はり体操や立って後ろにそり返ることができないから、
ベッドに腹ばいになってそり返るということから始めました。
これも最初はできなかった。
これができるようになったのは半月も経ってからでした。
右足に少し力を感じるようになったのは、
カイロプラクティック治療にかかりだしてから2週間ほど経った1月17日のことでした。
必ず歩けるようになると信じていましたが、
この頃はまだ、どうなるかな、と半分不安感に駆られていました。
学校へ通いだしたのは1月27日からで、
まだ1ヶ月の治療期間が必要という証明書付きでした。
その日のカルテには
「腰は痛くない。右足が動いたのでちょっと動かしすぎたら、今度はくたびれた」
というぼくの言葉が記入してあると聞かされました。
学校へは松葉杖をついて行ったのですが、
2月に入ってから右足がだいぶ前に出るよう
になり、15日にはだいぶ力が入るようになりました。
それで松葉杖を一本にしました。
そして、カイロの先生の前で松葉杖の力を借りずに立って見せて、
先生から「よく頑張ったね」とほめられたりしました。
松葉杖なしで立てるようになったのは、
忘れもしない3月20日のことでした。
それでもまだ、立って体操するまでには至らず、
先生の指導で腰かけたままで、右側弯を矯止する体操をやり始めました。
痛くて辛い体操でしたが、先生に励まされて頑張りました。
3月22日になって、松葉杖なしで5歩ほど歩けるようになりました。
家の中を、まるでよちよち歩きの赤ちゃんのように、
はい右、はい左といった具合に歩いたのでした。
3月28日になると、
松葉杖なしで家からカイロプラティック院まで通えるようになりました。
電車の中でも手すりにつかまっていればOKでした。
右側弯矯正体操も立ったままでできるようになりました。
先生から「歩くんだ。歩くことでもう一度腰を鍛えなおすんだ」と
ハッパかけられたのはちょうどこの頃です。
4月8日になるとツマ先歩きができるようになりました。
それから先は自分でもびっくりするような順調な回復ぶりで、
日常生活に不自由を感じないほどになりました。
5月1日には、高校のバレーボールの引退試合にも出場することができた。
カイロの治療にかかったとき、先生は「5月になれば大丈夫、バレーもできるようになる」といわれたが、まさにそのとおりになりました。
完全治癒までには長い道のりでしたが、先生がいわれたように、
病院で手術をしていたら下手すると一生、車イスの生活になりかねなかったと思います。

甲木寿人からのコメント

若い世代は背丈が伸びています。
平均で170センチ。E君は190センチ近くあるのです。
そろそろ机や椅子の規格も見直されなくてはならない時が来ているはずです。
姿勢の理解がない今の学生たちは、
自らを机の高さに合わせるねこぜになってしまっています。
それにノートがすべて横書きであるため、
極端な横書き姿勢ーー脊柱右側弯姿勢をクセにする学生がほとんどです。 
こうした長年の姿勢のクセが、脊柱をゆがめて
腰痛をはじめさまざまな神経障害に至るのを整形外科は全く無知なのです。
医学が無知なら一般人が無知なのは当然といえば当然です。
私はこれからの若い世代は、腰痛100%の世代であると憂えています。
スポーツで腰を痛めるのは、きっかけでしかありません。
姿勢のクセで歪めた脊柱が激しい運動についてゆけないのです。
一般には腰痛者によいとされている水泳でさえ、
選手となるとやはり歪んだ背骨には激しい運動になるのです。
水泳選手の学生に腰痛が多いことも余り知られていないようです。
E君の場合、
自分でも書いているように、脊柱右側わんというゆがみに加えて、
腰椎部分が正常弯曲とは反対にひっくり返った、いわば腰曲がりになっていたのです。
太腿をつねりあげても全く感じないという完全麻痺でした。
どこを手術するのか、病院側も困感していたことは間違いありません。
こんな重症のまま、恐る恐る退院を申し出た母親に、
どうぞどうぞと全く引きとめようともしなかったというのですから。
私があえて治療を引き受けたのは、私の所では珍しい症例ではなかったからです。
一番若かったのは13歳の女子中学生から、56歳の男性まで。
2〜3ヶ月の入院中にますます症状が悪化するために、
紹介あって私の所にたどり着く方々。
中学生の場合は幼少の頃からの横座り習慣で右側弯が早々と固定し、
その結果の症状なのに、整形外科の診断では背骨に異常なし、
登校拒否症だろう神経料に回りなさいというものでした。
E君は落ち込む様子もなく頑張りました。
留年などしたくないの気持ちもみなぎっていました。
188センチと背丈通りの脊柱を取り返し、右側わんを矯正し、
背骨が本来の理想形を取り戻したことで完治したのでした。

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