1.七年目にやっとカイロで椎間板ヘルニアから救われた Y.M(会社員35歳)

右脚のつけ根、つまり右臀部の奥から差し込むような痛みを感じたのは、
今から8年も前のことでした。
痛みは散発的で、あまり強くならずにいましたので、
「いつか治ってしまう単なる神経痛」
くらいにしか考えず、そのまま放置しておりました。
当持私は27歳、まだ若く身体にも自信があったのですが、
一年たっても症状は変わりませんでした。


7年前の6月、「これは運動不足が原因」と勝手に判断した私は、
よせばいいのに地区のバレーボール大会に参加、
見事準優勝になったのはよかったのですが、
この時の無理がたたったのか、症状は一挙に悪化しました。
右臀部の奥に届いた痛みが動き出し、
段々と下腿までおりてきて、最後は右くるぶしまで達し、
少しでも歩くとしぼり込まれるような痛みで
脚全体がしびれてくるようになりました。
それでも、放っておいたから悪くなっただけで、病院に行けば必ず治してくれるものと、
私は極めて楽観的かつ受動的な気持ちでいました。
まず近くの大学病院へ行き、その症状を訴えました。
医師は「本当に痛くなったら、また来てください」とのこと、
いや本当に痛いのです。
と言っても笑って受け付けてくれません。


同年9月、不安になった私は、国立病院の整形外科を訪ねました。
今度は「なぜ、こんなになるまで放っておいたのですか。即入院ですよ」とのこと。
病名は「椎間板ヘルニア」。
腰椎と腰椎の間のクッションの役目をする椎間板が後方に飛び出し神経を圧迫しているそうで、
手術(髄核摘出手術)しなければ治らないだろうとのことでした。
脚の神経痛とばかり思っていた私は、少々驚きましたが、
やっと原因もわかり、何のためらいもなく同病院に入院しました。
手術は同年10月初旬に行われました。
先生の言われるがままで、
まさか「成功率が50%くらい」だとか、
「再発の危険かある」など思ってもいませんでした。
それらは退院後に間いた話で、当時の私はこの病気について全く無知だったのです。
また仮に、そう聞いたとしても、私は手術しただろうと思います。
病気は病院(現代医学)で治すもの、
それ以外の治療方法は、何か怪しげで頼りないものと私は思っていましたし、
一刻も早くこの痛みから解放されたいという願いも強かったのです。


しかしながら手術は、このような私の思いとはおよそかけはなれたものでした。
術後24時間、筆舌に尽くしがたい痛みが私の腰を襲いました。
痛み止めの注射が六時間おきに4本打たれましたが、全く効果がなく、
この手術は失敗したのではないかと恐れました。
何回呼んでも担当医は来てくれず、その痛みも尋常一様なものではなかったのです。
(事実、同様の手術を受けた患者さんと比較しても、その経過は著しく異なるものでした)

 同年12月初旬、
私はこれまで全く痛むことのなかった腰痛を覚えながら退院の日を迎えました。
その日、担当医の説明も私にとってはショックなものでした。
「かなり軟骨(椎開板)を切り取ったので、もう再発はありません。
 しかし、後遺症(腰痛)は残るでしょう。
 他の人とは違うのですから、無理はしないように」と言うのです。
手術するまで腰痛はなかったのにと舌打ちしても、もう後の祭、
元気な身体に戻れるという期待は裏切られたのです。
それからの私は、持病となった腰痛で、すっかり身体の自信を失いました。
常に痛みがあるわけではないのですが、いつ出てくるかわからない腰の痛みに、
万事が慎重、消極的とならざるを得ませんでした。


そして、追い打ちをかけるように脚の痛みが再発したのは、
それから5年後12月のことでした。
「まぎれもない再発」
入院を勧める医師の指示を振り切って、私はカイロプラクティックの門を叩きました。
椎開板ヘルニアを切らずに治したという、会社上司Nさんの紹介でした。
「必ず治ります」診ていただいた先生の言葉に半信半疑の私でしたが、
従来の整形外科とは全く異なるその説明には、もっと驚かされました。


病院では、
整形外科医自ら「前屈」(手の平を床に着ける)の姿勢をやって見せ、
このように身体が柔軟でなかったため、つまり筋肉の老化で
椎開板ヘルニアになったのだと説明されたのに対し、
カイロの先生は、原因は長年の姿勢の悪さ「腰曲がり」からくるもので、
本来前弯であるべき腰椎が後弯となった結果であり、
それを助長する前屈運動など
「絶対やってはいけませんぞ」とおっしゃるのです。
また病院で、腹ばいになって本を読むこと
などやってはならない習慣だとされていたのに、
カイロではこれを積極的に勧められるのです。


あまりの違いに当初は戸惑ったのですが、
整形外科医が「腰痛体操」というパンフレットー枚を渡すだけで、
術後の指導もおざなりだったのに比べ、
カイロの説明は、なぜ発病したのか、なぜこの運動が必要なのか、
理にかなう納得のいくものでした。
椎間板ヘルニアの原因は、自ら作りあげてしまった姿勢の悪さによるものでした。
指摘される先生のお話は、
思い当たる節が多々あり、私にとって耳の痛いものでしたが、
自分で悪化させたのなら自分で治すことも可能ではとも思いました。
ここで初めて私は、発想の転換を先生から教えられたのです。
悪くなれば治してくれるといった受け身の態度(医者側から言えば悪くなれば切ってしまえ)から、
健康は自らの手でつかむといった積極的な姿勢へ変わることができました。
(もちろん先生の巧みな技なしに、治るはずもありませんが……)


その目は突然やってきました。
会社の配慮で東京勤務(それまでは大阪勤務)となったのに、
治療の為とはいえ長期に休んでしまい、焦り始めて1カ月も過ぎた頃でした。
8月24日、痛みなしには歩くことができなかった駅から、
カイロ院までの道程を苦もなく歩くことができたのです。
湧き上がる喜びに、私は目的のカイロ院を通り越し、
そこらを徘徊、健康であることの素晴らしさを満喫しました。
経過は順調で、歩こうと思えばどこまででも歩けるようになり、
あれほど恐れていた腰痛も、徐々に影をひそめつつあります。
何よりも心強いのは、
万が一再発しても、もう手術などしなくてもよいということです。
また先生の指導により、姿勢注意と体操で自分で治すこともできそうです。


原因不明の発病以来、実に7年もの歳月を費やし、私はカイロに辿り着きました。
あれほど信じていた現代医学は、私を治すことができませんでした。
そして信じていなかったそれ以外の治療が私を救ったのは何という皮肉でしょうか.。
(病気のすべてがそうだとは、もちろん思いませんが)
また、初めて受けたその現代医学以外の治療が、
カイロプラクティックだったのも、私には幸運でした。
今は、私の病気のためにいろいろとお骨折りくださった方々には、感謝の念でいっぱいです。



甲木寿人からのコメント
なぜ椎間板ヘルニアになったのか。
この研究が医療ではなされていません。
レントゲンでの現状認識がすべてですから、途中経過が分かっていないのです。
軟骨とはいっても、大変に強靭な椎間板が、
普通の生活状態の中で3年や5年でヘルニア(後ろへはみだすこと)にはなりません。
Mさんの場合はお尻のしびれから始まったようですが、ほとんどの方は腰痛が先立っています。
腰が伸びない(後ろにそれない)ための腰痛にたびたび苦しめられながら年月を経過するうちに、
遂に椎間板ヘルニアとなって下肢の激痛にたどりつくのが一般です。
途中経過では腰の前屈(床に手をつく)の方がやさしくて、
後屈(後ろへ反り返る)がむずかしいのですし、
ヘルニアが起こったらもう後屈は全くできません。
にもかかわらず、
床に手がつくから、自分の体は柔軟なのだと、
一般の患者さんは誤解さえしています。
この辺の所を医療も全く無知なのです。


なぜ椎間板ヘルニアになったのかを医療が知らず、
ましてや患者さんは知る由もなく手術されても、
Mさんのように再発する人がいても何の不思議もありません。
もうMさんは一生再発させることはないでしょう。


最近は、腰が痛くて下肢(お尻から爪先まで)に痛みを訴えると、
"椎間板ヘルニア・座骨神経痛"の診断が大変に多いのが分かります。
下肢には坐骨神経しかないみたいな診断ですが、
皆さんが出来る簡単なテストがあります。
まず爪先立ちで歩けるか。反対に爪先を上げてかかとで歩けるか。
この二つが出来れば椎間板ヘルニアでも坐骨神経痛でもありません。
脊柱側弯による別の神経の痛みであると知ってください。

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